普通に生きられない人に救いはあるのか(地球星人を読んだ感想)

村田沙耶香の地球星人をよみました。


普通に恋愛をして性交して子供を産んでいく周囲の人間に馴染めない人の話、というとコンビニ人間と被る感じがしますが、あっちはかなり大衆向けというか、もしかしたら本当に作者が書きたかったのはこっちかもしれないとおもわせるようなある種の「極致」を感じました。

 

終盤からラストにかけてはともかくとして、途中のシーンは結構共感できる部分があるというか、掲示板で性行為なしの結婚相手を探すやつとか実際に自分もやったことある(というかいまも掲示されてるのでたまに連絡来るけどまだぴったりの人に巡り合えてない)のでわかるなあみたいな気持ちで読んでました。

交際相手自体はさほどもとめてなくても、世間からの圧力というが強いんですよね。普通の人からすれば「そんなの無視すればいいじゃん」って思うかもしれないですけど、例えば飲み会の場なんて大体恋愛の話になるわけで、そういうときに自分に話がまわってきたときに、なにも話せるようなものがないわけですから、気を遣う感じになって空気悪くなるんですよね。そのうち自分に恋愛の話振るのやめようみたいな暗黙の了解みたいなのができて、それはこっちにも伝わってきて、「ああ、自分がこの場にいなければこの会はもっと盛り上がってるんだろうなあ」って感じて、そのたびに世間と自分のズレというか摩擦で心が削られる感じがします。

だから自分も恋愛がしたいと思える普通の人間だったらよかったなあって思う瞬間は何度もあって、主人公の「洗脳してほしい」はよく理解できました。

 

終盤の逸脱した描写の数々は、「合理性だけを追求した生き方」というように描かれていましたが、結局ジリ貧でそのうち野たれ死ぬでしょうし「現代社会から離れて生きようとすると、どれだけ合理性だけを追求しても厳しい」というある種絶望的な結論をつきつけてるようにかんじました。
ラストシーンの腹部の描写も、極度の飢餓状態によるものでしょうし。
グロイとか、異常だとか、そういうこと以上にそういった点でバットエンドじゃないでしょうか?