必死にサブカルに傾倒して何者かになろうとしているオタク
大学生になってから、漠然とヴィレッジヴァンガードや中野ブロードウェイに入り浸っています。
別に何か買いたいものがあるわけでもなく、予定があるわけでもなく、ただ漫然と店内をうろついてます。
強いて言えば求めているものは「普通の店と違う雰囲気」です。そこに入り浸っている自分が「他の人間と違う感性の持ち主」のように錯覚できるわけです。
ここでいう「他の人間」とは「インスタで楽しそうな画像をあげている高校時代の同級生」のことです。
「サークルの仲間たちと旅行」
「恋人とディナー」
そういう刃物のような投稿から自分を守るための防刃チョッキとして、サブカルの空気を身にまとわせています。
彼らより明らかに日常の密度もランクも幸福度も負けてる人生を送ってたとしても、同じ土俵で戦わなければいいわけです。サブカルチャーに傾倒すれば「彼らとは生き方のジャンルが違うんだ」って自分に言い訳ができますから。
さらに彼らからこいつ面白い生き方してるなって憧れられる妄想を深夜にして自己肯定感を高めることもできます。
実際はただの陰キャ童貞キモオタクなんですけどね。大学四年間を終えて一切女性と関わる機会もなく、熱中した趣味もなく、何も成さず成そうともせずだらだらと偏ったネットの知識だけ蓄えて大人になってしまいました。彼らの笑いものにはなっても、憧れの対象には絶対になりえないんです。それでも何者かになって、順当に人生の階段を上ってる奴らが歯噛みするような人間になって、クソみたいな俺の若年期は間違ってなかったんだって思えるような日がいつかくるんだと、そういう妄想をし続けないと心がもたないようなところまで来てしまっているのです。
ぶっちゃけ別にサブカルチャーが好きなわけではないですからね自分。地雷系のファッション見てエロイなって思う程度ですから。
最近でいうと「伊藤潤二が好きな自分」になりたくて作品を始めました。
動機はどうあれ最高に面白くて、読み始めてよかったって思うんですけど、たまに「頑張って好きになろうとしている自分」の存在に気が付いて、そしてそれを必死に気づかないようにしている自分の心の動きを感じます。
原画展に行ってグッズもたくさん買いました。もちろんキャラクターやデザインが好きで購入しているのは事実です。でも心のどこかに、「グロテスクなキーホルダーやTシャツを身に着ける自分に対して周りが奇異な、でもどこか憧れを含んだ視線を向ける」、そんな妄想をしながら買っていることも否めないのです。
煌びやかな人生を生きてる奴らと同じものを好み、同じものを身に着けるなら、自分の人生は彼らの劣化になってしまうような気がして、今日も私はサブカルチャーを必死に好きになる努力をしています。
ありがとう。私の人生の逃げ道。
BMI16切った成人男性
先日大学で受けさせられた健康診断の結果が返ってきました。
基本的に異常はなかったのですが、唯一赤字で要改善となっていたのが身長体重の欄でした。
かなり珍しい光景ですね。普通血圧とかコレステロールとかで赤字がでてくるのですが、そこ全部クリアしてるのに一番上の身長体重の欄が真っ赤になってました。
身長約172、体重約46、BMIが15.8になってました。普通に異常らしいです。というか異形ですね。マッチ棒の悪魔です。
適正体重調べたら20キロ近く足りませんでした。普通にヤバすぎるでしょう。下半身もう一個生えてきてケンタウロスみたいになってもギリ足りないってことですからね。
もちろん自分なりに太る努力はしてるつもりです。普段割と食べるほうですし、だらだらと間食したり、肉がつきやすいような猫背でだらしない姿勢をとったりというような日々の努力も欠かさないのですが、なかなか結果がでませんね。
こんな自分にもいつか中年太りする日がくるのでしょうか。
正直来る気がしないですが、「20代の頃はいくら食べても太らなかったのに」なんて言ってる大人もよくいるんで自分もそうなるのかな。いやならんだろ正直。高校卒業してからどんどん体重減ってるし、中年太り来る前に体重0になって消滅するほうが先かもしれません。
まあでもよく考えたら血圧やコレステロールにそこまで異常がないのなら別になんも問題ないですよね。別に体形が原因で死ぬわけじゃなく、病気が原因で死ぬわけで、そのアウトプットの一つとして体形の異常があるわけですから、他の数字が正常ならセーフですよね。
やはり最大のデメリットはモテないことでしょうか。自分の彼氏がマッチ棒の悪魔だったら嫌ですもんね。彼氏が普通の悪魔でも嫌なのに、よりにもよってマッチ棒の悪魔かよって。
モテるために、なんとか頑張って深夜のラーメンを継続したいと思います。
trainTV面白さランキング
みなさんはtrainTVというものを知っているでしょうか。
「電車のなかのテレビ局、はじまる」
というコンセプトで、今年の四月くらいから一部のJR東日本電車内で放送されている映像コンテンツです。
一本60秒くらいの番組が約10種類ほど、内容は週替わりで更新されていきます。
電車内で流れる番組なので音はなく、映像だけで楽しめるようになっているのが特徴です。

JR東日本を利用しない人はご存じないかと思いますが、このtrainTV
驚くほど面白くないです。
今回はこのtrainTVの番組の面白さランキングを発表したいと思います。
第一位「チョコプラEX」

芸人のチョコレートプラネットの二人が独自の企画を行う番組。
唯一見るに耐える番組です。
「自力スローモーション対決」や「40秒DIY」など、普段のyoutubeで二人が行っているような雰囲気の企画を短い時間で行っています。
音がないという特性を生かした企画が多く、二人の発想力の凄さ、内容のばかばかしさで唯一笑える番組になっています。
第二位「黙喜利」

声がだせない状況で大喜利をするというコンセプト
第二位と書いてはいますが普通にこれ以下はみれたものではないです。
大喜利を行う芸人はそうそうたるメンツなのですが、そもそも音無しで大喜利をするという構図自体に普通に無理があり、さらにそれによってより一層重要になるはずの答えを書くフリップも薄いペラ紙のため、普通に回答が見づらいです。
座っている人間からすればモニターは逆側の壁の上部についてるわけですからね。そして答えをアップで映すこともしないわけですから、当然笑えません。
しかもお題に対して一度回答するだけの同じ映像が一週間流れ続けるので、週末はもはや全く見る気がしません。
第三位「松丸亮吾のひらめきニュース」
松丸亮吾がアイデア商品を紹介する番組。
ネタ自体は面白いですが、手元のスマホでSNSを使えば似たような話が無限に流れてきます。
第四位「Rebeuty by @cosume」
「#れいわしらべ」
「テックのドヤ話」
「きっと今日作りたくなる」
まとめて死ぬほど興味が湧きません。
自分が男だからでしょうか。
Twitterで流れてきても無視するような情報をわざわざ頭上げて首に負担をかけてみないでしょう。
第五位「サイレンタリー」
普通の家族に密着した普通の動画が流れるだけの地獄。
最下位「ヒカキンからの挑戦状」
ぶっちぎりの最下位です。
「ヒカキンがあなたに挑戦をしかける」というコンセプトでクソみたいな映像を見させられます。
具体的にはヒカキンの絵しりとりの解読や、体力測定の結果を予想させられます。
制作陣はどういうつもりでこれらの企画をおこなっているのでしょうか。
子供ならともかく、通勤する大人たちが
「うわーwww ヒカキンの握力思ったより強かったーwwwww」
となるとでも思っているのでしょうか。
誰をターゲットに、どういう意図で、どんな反応を求めて作られているのか全くわからず、呆れを通り越して恐怖すら覚えます。
いかがだったでしょうか。
こういうのは徐々に良くなっていくものだと思うので今後に期待ですね!
「正直笑いのセンスだけは陽キャに勝ってる」と思い込んでる君へ
他は全部負けてても笑いのセンスだけは陽キャに勝ってると思い込んでる君へ
例えば高校や大学のクラスで、別の作業をするふりをしながら隣の男女グループの会話を盗み聞きして、
「盛り上がってる風だけど面白くない会話だな」
「芸人の真似してる感がイタイな」
「自分だったら今のところこう返すけどな」
みたいな妄想をしつつ、結局今日も誰とも話さないまま家に帰るだけの一日を送る君へ。
「いけ好かない陽キャとの会話で女子達は爆笑してるけど、本気をだせば毎日芸人のラジオとか配信者のトークとか聞いてる自分のほうが面白い」と自分に言い聞かせながら、自分も彼らの会話に入ったつもりでどう発言するかをシュミレーションして、脳内でみんなを笑わせてる君へ。
君は面白くなんかない。
ただ「面白い人の話を聞きすぎたせいで自分にもできる気がするという勘違いゾーンに突入してしまったオタク」なんだ。
私もそうなのでよくわかる。
多分、ずぶのど素人でも特定のコンテンツを見続ければそれに関してそれなりに芯の食った批評ができるレベルには割とすぐに到達できる。
だが批評ができることと、実際にそれをやってみてできるかどうかということには大きすぎる溝がある。
今の君はそういう状態なのだ。
もし君が急にクラスの一軍グループの会話に入ったところで、誰も君の発言では笑わないだろう。関係性がないから。
みんなが君の発言で笑うために必要な関係性を築くことも含めて、笑いのスキルなのだから、それができない君はすなわち「面白くない人間」なのだ。
悔しいだろう。正直「非モテ」とか「不細工」なんて言われるより、「面白くない」と言われるほうが、陰キャにとってはつらいと思う。
ダウンタウンが登場して以降、この国では「面白い=かっこいい」という価値観が根付いた。
「面白さ」とはもてないやつらが逆転するための唯一の手段であり、イケてる奴らを貶めて自尊心を保つために最もよく用いられるレッテルが「あいつらは面白くない」なのだ。
だからtiktokや若いyoutuberを晒しあげたtwitterのポストの引用リツイートは彼らを面白くないとこきおろす文章であふれかえる。
だが、冷静になって考えてみてほしい。
君は彼らより面白いのであろうか。
彼らは現に多くの人間を笑わせて注目を浴びている。それは彼らの持つ数字があらわしている。
それに対して君は人生で一度でも誰かを笑わしたことがあるのであろうか。
仲のいいクラスのオタク同士の会話ではない。それはただの内輪ノリだ。そうではなく顔も知らない誰かを笑わした経験だ。
「顔も知らない誰かに注目される土壌がないからわからない」と思うだろうか。ならば君がもしyoutubeを始めたら伸びるだろうか。
伸びないだろう。
私が保証する。なぜなら私こそが、そんな勘違いからyoutubeを始めて大爆死した人間であるからである。
陽キャを貶めて溜飲を下げる前に、我々は今一度冷静になって自分に問う必要がある。
本当に面白くないのは誰か。
俺はたむらかえのyoutubeがみれない
たむらかえのyoutubeが見れない。
「何者かになりたい願望」に脳天まで浸っているので、彼女のチャンネルを見るだけで嫉妬で狂いそうになる。
「何物かになる」の定義は人によって違うと思うが、自分の場合は「youtubeやSNSなどである程度フォロワーがいて、何かを発信するとある程度反応がもらえる人間」みたいなイメージである。
多分自分の根本には、「自分の考えは人と違っていて面白い。注目されるきっかけさえあれば人気になれる」という思い上がりがあるのだろう。
周囲と会話が通じず、理解されず、馴染めないのを「奇才」「独創的」と都合よく脳内変換し、現実世界をあきらめ、ネットの世界で注目されることを夢見てきた。インターネットで何者かになることで、高校の同級生が自分に嫉妬する妄想を何度もしてきた。
そんな自分の理想形がたむらかえだった。孤高で独創的な発想を評価されて人気になる、そういう存在に死ぬほどなりたかった。
彼女が動画内で、俺がとっくに思いついていた(と自分では思っている)思考やジョークを披露するだけで視聴者から天才、天才ともてはやされていることが耐えられないから、彼女の動画は見れない。
本当だったら自分が彼女になっているはずだったのだと。
だがもちろんそれは思い違いだった。
自分も、自分なりに何者かになるために活動してきたが、いまだ花開く気配はない。
チャンネルで上げる動画はゲーム実況ばかり。その理由として、第一に真正面から動画を撮る気恥ずかしさに耐えらない。自分も彼女のようになれる、と思い込んでいるわりに彼女のようになるために最低限必要なことすらできなかった。
第二に、動画のネタがない。彼女は半年前に「たむらかえ2」のチャンネルを開設してからほとんど毎日動画をあげているのに、自分は一本目の動画のネタすら思いつかない。布団に寝転がって彼女の動画をみている時には「こんなの俺だってできる」と思い込んでいたことが、いざ自分で行おうとすると全くできない。20年以上生きてきて、自分には何の引き出しもないことに気づかされる。
だからゲーム実況に逃げる。ゲームをやっていれば、少なくとも話すことはあるから。空っぽの引き出しの中身が、あるような気分になれるから。
そんな人間がゲーム実況者として上手くいくわけがない。彼女と同じ約半年動画をあげてきて、登録者数は2人。何本も動画を出しているのに、そのへんのコメントする専門のアカウントと大差ない。
twitterのフォロワーも40人、半分がスパム。高校生のリア垢のほうがまだ人気がある。
自己評価とは裏腹に、「俺のことを面白いと思ってくれる人」は一人もいなかった。
自分は何物にもなれないのだと気づかされた。
きっとこの文章もアクセス数0のままネットの世界をさまよい続ける。
巷では他人の黒歴史的な動画やブログを晒すコンテンツすらあるというのに、それにすらかからないのはどれだけ魅力がないのだろうか。
もうしばらくは手を変え品を変え活動してみようと思う。
だが数年後も状況が変わっていなかったら、何物にもなれず生きる人生よりも死を選ぶかもしれない。その様子を配信すれば、少しは注目されるだろうか。
何物にもなれない若者の葛藤(にゃるらの「蜘蛛」を読んだ感想)
needy girl overdoes で好きになったにゃるらの小説が出たので読みました

何者かになりたくてあがく若者の葛藤がありありと描かれていてよかったし、その上でニディガのifストーリーとして成立していたのがよかったです。
それもちょうど「ああ、こういうのが見たかった」みたいな感じで。本編は救いようのないエンドが多かったので。別に作者が普通のハッピーエンドにしたくないみたいな流儀をかかえてるわけではなかったんだな、ってなんか安心しました。安心っていうのも自分で書いててよくわかんないですけど。
以下、それなりに本編の内容に触れます。
まず思ったのが、本人は「何物にもなれない」って思ってたみたいですけどフォロワー数400ってそれなりに多くて羨ましいなってことです。
自分のアカウントなんてフォロワー数40人にも満たないですし、このブログも多分誰も読んでないでしょうから、なにか発信すればそれなりの人に見てもらえるという土壌があるだけマシじゃねって思ってしまいました。
まあ下には下がいるというか、基本ないものねだりなんでしょうね。
もちろんこのアカウントは作って間もないですし、まだ何も積み上げてないんだから当たり前だろって話なんですが、例えばここから三年ブログとか配信とか頑張ったところで、今のところ正直フォロワー100人すら達成するビジョンが全く見えないので、フォロワーが数百人単位でいるオタクたちが少し羨ましくなってしまって入り込めない部分はありました。
それでも序盤の「どうやって有名になるかウジウジ考えて結局何もしない」シーンはかなり自分と重ねてしまいました。
自分も含めて、結局彼らの頭のなかにあるのは「どうやって有名になるか」が一番なんですけど、基本的に今ネットで有名になってる人たちって大半がまず「自分はこれが好き」が第一にあって、それをもっとみんなに知ってもらいたいからネットを使って発信したら有名になった、って感じで根本的に順番が逆なんですよね。
自分は何を始めるにしても、頭に浮かぶのは「それをして有名になった自分」であって、「それ自体を楽しんでいる自分」ではない。そんな人間が何かを始めたところで、序盤で「チヤホヤされるはずだった思い描いていた自分」と「始めたてでなにもままならない初心者の自分」とのギャップに打ちのめされて努力できない、何も続かないんです。
内容に関する話に戻りますけど、実際にゲームをやってて一番しんどかったゲロルートが救済されたのはだいぶ良かったです。別にある程度ゲロをネタにしてやってく道もあるよなーって当時思ってたんで。
作品を通したテーマとして、コンテンツを発信する側と、それを消費する側の線引きというか、ただ与えられたものを受け取るだけの割に線の向こう側の人間を恨んで不幸にしようとしてくる大衆への侮蔑みたいなものが多く含まれてるように感じました。
(もちろんそれが作者の意見だなんて解釈をするような愚かな作品の読み方はしません。誰も見てないようなブログですが一応)
線のこちら側で一生を終えるくらいなら、線の向こう側にいけるようにチャレンジしてみようっていうってことで一歩踏み出してみたっていうエンドなのかもしれません。
ただ実際はそうやって配信を始めたとしても自分のように鳴かず飛ばずで終わる人が大半なんでしょうけどね。それだとさすがに話として救いがなさすぎますが。
普通に生きられない人に救いはあるのか(地球星人を読んだ感想)
村田沙耶香の地球星人をよみました。

普通に恋愛をして性交して子供を産んでいく周囲の人間に馴染めない人の話、というとコンビニ人間と被る感じがしますが、あっちはかなり大衆向けというか、もしかしたら本当に作者が書きたかったのはこっちかもしれないとおもわせるようなある種の「極致」を感じました。
終盤からラストにかけてはともかくとして、途中のシーンは結構共感できる部分があるというか、掲示板で性行為なしの結婚相手を探すやつとか実際に自分もやったことある(というかいまも掲示されてるのでたまに連絡来るけどまだぴったりの人に巡り合えてない)のでわかるなあみたいな気持ちで読んでました。
交際相手自体はさほどもとめてなくても、世間からの圧力というが強いんですよね。普通の人からすれば「そんなの無視すればいいじゃん」って思うかもしれないですけど、例えば飲み会の場なんて大体恋愛の話になるわけで、そういうときに自分に話がまわってきたときに、なにも話せるようなものがないわけですから、気を遣う感じになって空気悪くなるんですよね。そのうち自分に恋愛の話振るのやめようみたいな暗黙の了解みたいなのができて、それはこっちにも伝わってきて、「ああ、自分がこの場にいなければこの会はもっと盛り上がってるんだろうなあ」って感じて、そのたびに世間と自分のズレというか摩擦で心が削られる感じがします。
だから自分も恋愛がしたいと思える普通の人間だったらよかったなあって思う瞬間は何度もあって、主人公の「洗脳してほしい」はよく理解できました。
終盤の逸脱した描写の数々は、「合理性だけを追求した生き方」というように描かれていましたが、結局ジリ貧でそのうち野たれ死ぬでしょうし「現代社会から離れて生きようとすると、どれだけ合理性だけを追求しても厳しい」というある種絶望的な結論をつきつけてるようにかんじました。
ラストシーンの腹部の描写も、極度の飢餓状態によるものでしょうし。
グロイとか、異常だとか、そういうこと以上にそういった点でバットエンドじゃないでしょうか?