何物にもなれない若者の葛藤(にゃるらの「蜘蛛」を読んだ感想)

needy girl overdoes で好きになったにゃるらの小説が出たので読みました

何者かになりたくてあがく若者の葛藤がありありと描かれていてよかったし、その上でニディガのifストーリーとして成立していたのがよかったです。

それもちょうど「ああ、こういうのが見たかった」みたいな感じで。本編は救いようのないエンドが多かったので。別に作者が普通のハッピーエンドにしたくないみたいな流儀をかかえてるわけではなかったんだな、ってなんか安心しました。安心っていうのも自分で書いててよくわかんないですけど。

 

 

 

以下、それなりに本編の内容に触れます。

まず思ったのが、本人は「何物にもなれない」って思ってたみたいですけどフォロワー数400ってそれなりに多くて羨ましいなってことです。

自分のアカウントなんてフォロワー数40人にも満たないですし、このブログも多分誰も読んでないでしょうから、なにか発信すればそれなりの人に見てもらえるという土壌があるだけマシじゃねって思ってしまいました。

まあ下には下がいるというか、基本ないものねだりなんでしょうね。

もちろんこのアカウントは作って間もないですし、まだ何も積み上げてないんだから当たり前だろって話なんですが、例えばここから三年ブログとか配信とか頑張ったところで、今のところ正直フォロワー100人すら達成するビジョンが全く見えないので、フォロワーが数百人単位でいるオタクたちが少し羨ましくなってしまって入り込めない部分はありました。

それでも序盤の「どうやって有名になるかウジウジ考えて結局何もしない」シーンはかなり自分と重ねてしまいました。
自分も含めて、結局彼らの頭のなかにあるのは「どうやって有名になるか」が一番なんですけど、基本的に今ネットで有名になってる人たちって大半がまず「自分はこれが好き」が第一にあって、それをもっとみんなに知ってもらいたいからネットを使って発信したら有名になった、って感じで根本的に順番が逆なんですよね。
自分は何を始めるにしても、頭に浮かぶのは「それをして有名になった自分」であって、「それ自体を楽しんでいる自分」ではない。そんな人間が何かを始めたところで、序盤で「チヤホヤされるはずだった思い描いていた自分」と「始めたてでなにもままならない初心者の自分」とのギャップに打ちのめされて努力できない、何も続かないんです。

 

内容に関する話に戻りますけど、実際にゲームをやってて一番しんどかったゲロルートが救済されたのはだいぶ良かったです。別にある程度ゲロをネタにしてやってく道もあるよなーって当時思ってたんで。

 

作品を通したテーマとして、コンテンツを発信する側と、それを消費する側の線引きというか、ただ与えられたものを受け取るだけの割に線の向こう側の人間を恨んで不幸にしようとしてくる大衆への侮蔑みたいなものが多く含まれてるように感じました。
(もちろんそれが作者の意見だなんて解釈をするような愚かな作品の読み方はしません。誰も見てないようなブログですが一応)
線のこちら側で一生を終えるくらいなら、線の向こう側にいけるようにチャレンジしてみようっていうってことで一歩踏み出してみたっていうエンドなのかもしれません。
ただ実際はそうやって配信を始めたとしても自分のように鳴かず飛ばずで終わる人が大半なんでしょうけどね。それだとさすがに話として救いがなさすぎますが。